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大隅半島は「建国神話の始まりの聖地」(3)

同じタイトルの(2)で、私は以下のように書きました。
「神話に関する伝承話が、関連の旧跡がある地元には伝わっているはずです。神々が活き活きと甦ってくるような伝承話を掘り起こして、後世に伝えていただきたい。もし、そのような話をまとめた資料があれば是非読んでみたいものです。」

大きな図書館には、大隅の建国神話の伝承話の資料があるかもしれないと思い、鹿屋市立図書館に探しに行ってきました。

市立図書館
写真 鹿屋市立図書館


入り口に「郷土・事典コーナー」と書かれた部屋に、大隅史談会の会報「大隅」が並んでいました。

郷土コーナー
写真 郷土・事典コーナーと大隅史談会の会報「大隅」が並ぶ書架


書架に置かれていたこの会報を順次めくりました。残念ながら、創刊号から29号までは飛び飛びに欠本がありました。
1959年発行の第5号に、「伝説研究」として4編の報告があり、その中に長崎貞治氏が書かれた「吾平地方の伝説」がありました。

大隅5号
写真 大隅史談会の会報「大隅」第5号


それには以下の6つ伝説があり、(一)と(二)の3つの文章が建国神話に関するものでした。これを見つけた時には、うれしかったです。

(一)飴屋敷
  ○うがや不合尊の御誕生
  ○飴屋敷の老婆
(二)玉依媛尊とガラッパどん
(三)ジヤの行けジヤの穴
(四)権現島の鬼火
(五)夜鳴の名刀

「(一)飴屋敷」の2つの話の概要は知っていましたが、書かれていた伝説には、神様の話し言葉に態度や感情の説明が加わり、童話のようにわかりやすく、話の情景が芝居のように目の前に浮かんできました。

「(二)玉依媛尊とガラッパどん」は初めて知った話で、要旨は以下のとおりです。神武天皇の母君の玉依媛が幼い皇子(御幼名は狭野尊)を連れて川で洗濯をされていたら、皇子が川に落ちて無数の河童にとりつかれました。母君が川に飛び込まれて、懐剣で河童を斬って追い払い、皇子を救ったという内容です。今も河童の手形のような文様が肝属川の川淵にあり、伝説と符合していると書いてありました。
玉依媛の気丈な性格とともに、子供に対して川には危険があるという教えを、この話に込めているのでありましょう。

(三)(四)(五)は、いずれも吾平町に残る中世の伝説です。

今回は、郷土史の会報「大隅」に記録されていた、吾平町に残る建国神話に関する伝承話を知りました。後世に末永く伝えたい貴重な資料で、執筆者に感謝しました。
吾平町以外にも、このような建国神話に関する伝説があるはずです。ご存じの方がおられましたら、教えてください。


大隅史談会誌「大隅」には、興味深い建国神話についての論考がいくつかありました。中でも松下高明氏の報告は、説得力のある専門的な内容であり、啓発されるところが大でした。

1979年発行の第21号には、北園博氏が書かれた「神武天皇御祭航地柏原と大和の地名」(筆者注:祭航は発航の誤植か?)があり、大隅には大和と同じ地名が多いこと(71ヶ所)が示されていました。

大隅21号
写真 大隅史談会の会報「大隅」第21号


安本美典氏は、『言語学の分野で、しばしば、地名は、「言語の化石」といわれる。ふつうのことばにくらべ、地名は、ずっと歳月による風化をうけにくい。』として、「邪馬台国見聞録」や「邪馬台国への道」で地名を神話と史実のつながりを求める手がかりにされています。上記の北園博氏の報告もその観点から重要であると思いました。

今回の件で、1951年から続く大隅史談会の活動に、あらためて敬意を表した次第です


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テーマ: 鹿児島 | ジャンル: 地域情報

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