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恐ろしすぎる「南九州での破局噴火」

私が住んでいる南九州、特に鹿児島県の過去の火山災害を調べてみたら、現在では予想もつかない破局噴火(超巨大噴火)が何回かあったことを知りました。これを知ったら、永く活動を続けている桜島の爆発は小さいと思いました。一回起きた破局噴火はまた起きる可能性があるので、恐ろしい所に住んでいることが分かりました。
以下に、過去の主要な破局噴火の概要を、なるべく分かりやすく書いてみます。

1  阿多カルデラの大噴火
阿多カルデラは、鹿児島湾の入口付近にある2つのカルデラで、南側のカルデラを阿多南部カルデラ、北側のカルデラを阿多北部カルデラと呼んでいます。
火砕流(
高温の火山灰や岩石、火山ガス、空気、水蒸気が一体となったもの)を伴う噴火と陥没を繰り返しており、最初の約11万年前の旧石器時代の大噴火においては、阿多北部カルデラから阿多テフラ(火山噴出物)が噴出した直後に阿多南部カルデラでも陥没が発生したと考えられています。
阿多北部カルデラから噴出した火砕流は、南九州広域に押し寄せてきたので、当時住んでいた旧石器時代人は絶滅したと考えられます。

1_阿多カルデラと火砕流分布図

この大噴火の後、阿多南部カルデラ内部に鷲尾岳、清見岳など新期指宿火山群と呼ばれる火山群が形成されました。
約5500年前には阿多南部カルデラ西北縁部で大噴火が起こり池田湖(池田カルデラ)が形成されました。これとほぼ同時に発生したマグマ水蒸気爆発により山川湾、成川盆地、鰻池、池底、松ヶ窪などの噴火口群が相次いで形成されました。その後、鍋島岳や開聞岳が形成され現在に至っています。
2_阿多派生カルデラ

水蒸気爆発の後で、花崗岩岩片を含むスコリア堆積物を噴いた後に、大規模な池田降下軽石堆積物を噴出しました。池田湖から直線距離で約30km離れた、私が住んでいる大隅半島中部に約1mの厚さの軽石が堆積しました。このように多量の火山岩が空から降ってきた時には、当時の人々を阿鼻叫喚の地獄にさらしたことでしょう。

阿多北部カルデラの噴出物は、現在、独特の景観も作って、我々を楽しませてくれています。
花瀬自然公園の石畳(千畳敷)、吾平の立神公園の奇岩なども阿多火砕流が堆積してできた溶結凝灰岩であり、珍しい景観をつくりました。吾平山陵では、高千穂峡の絶景スポットになっている「溶結凝灰岩の柱状節理」が小規模ながら見られます。
3_阿多火砕流の景観


2  姶良カルデラの超巨大噴火
姶良カルデラは、現在の桜島以北の鹿児島湾全体を噴火口とし、今でも火山ガスを海中にボコボコと吹き出す、「たぎり」とよばれる噴気活動が見られます。
4_姶良カルデラとたぎり_文字入

約3万年前に姶良カルデラは短期間(数ヶ月以内)に相次いで大噴火し、軽石の噴出から始まり、最後に超巨大噴火して大規模の火砕流「入戸火砕流」が発生しました。噴出源から半径約90kmにも及ぶ南九州本土の大半が厚く埋められ(下図左)、最大厚さで約150mの火砕流堆積物はシラス台地と呼ばれる広大で不毛な大地を形成しました。シラスは水の作用による構造が見られないことから,数日程度の期間に一気に堆積したと考えられています。
5_入戸火砕流分布とシラス崖_文字入


同時に上空に立ちのぼった火山灰は日本列島の広域に飛散して、当時の推定厚さは南九州 で30メートル、高知県宿毛市で 20 メートル、京都で 4 メートル、関東地方で10センチ、東北地方で数センチも積もりました(現在の地層厚さはその1/10)。
九州や中国地方の旧石器時代人は絶滅したと思われます。生態系の回復と人類の活動再開には、約1,000年を要したと推定されています。

3 鬼界カルデラの大噴火
鬼界カルデラは鹿児島県南方およそ50kmの硫黄島と竹島を含むカルデラで,大半が海底にあります。
6_鬼界カルデラ位置と海底図

約7,300年前(約6,300年前とする説もある)に生じた鬼界カルデラの一連の大噴火の際に、最後の大規模火砕流「幸屋火砕流」が推定時速300km位の高速で海上を走り、大隅半島や薩摩半島にまで上陸しました(下図左)。その時のアカホヤと呼ばれる火山灰は東北地方まで達しました(下図右)。
7_幸屋火砕流とアカホヤの分布図

噴火の順序は,軽石の噴出(大隅降下軽石)→横なぐりの爆風(ベースサージ)→火砕流の流出(妻屋火砕流)→火口の大爆発(亀割坂角レキ)→大規模な火砕流の流出(入戸火砕流)と一連につながっています。大隅降下軽石は大隅半島側で特徴的に見られることから,噴火は北西の季節風が卓越する冬に起こったと考えられています。
「幸屋火砕流」は当時住んでいた早期縄文時代の縄文人の生活に大打撃を与えたと考えられています。その後、1,000年近くは無人の地となったようです。
その後に住み着いた前期縄文時代の縄文人は以前とはルーツが異なり、土器の様式も変わりました。
また、大噴火の際に海中に突入した火砕流の一部は大津波を発生させました。津波の推定高さ(下図左)は大隅半島で30mです。津波の痕跡は長崎県や三重県でも確認されました(下図右)。
8_鬼界カルデラ噴火による津波


4 桜島の大噴火
破局噴火はしていないですが、姶良カルデラからマグマの供給を受けている桜島の大噴火も覗いてみます。
桜島観光ポータルサイト「みんなの桜島」の「噴火の歴史」によると、桜島は、約26,000年前の誕生以来17回の大噴火を繰り返してきました。
9_過去の噴火図_文字入

その噴火活動は、大きく2つの時期に分かれています。最初は北岳(御岳)の活動です。誕生以来たびたび噴火し、約5,000年前に活動を休止しました。なかでも、約12,800年前の噴火は規模が大きく、鹿児島市街地で約1ⅿ、鹿児島県のほぼ全域で約10cmの軽石が降り積もりました。
約4,500年前からは南岳の活動がはじまります。あとから誕生した南岳は、北岳に覆いかぶさるように成長し、現在まで活発な活動を続けています。
歴史時代に入ってからは、天平宝字(764年)、文明(1471年)、安永(1779年)、大正(1914年)と4回の大噴火を起こし、そのたびに島は形を変えてきました。大正噴火では大量の溶岩が流れ、それまで島だった桜島と大隅半島は陸続きとなりました。
桜島の大正噴火のすざましさを伝えるものとして、桜島の黒神地区にあった「腹五社(はらごしゃ)神社」の埋没鳥居が有名です。もともとは高さ3mあった鳥居が、今は上部の約1mを地上に見せています。その下の約2mは、噴火後1日で、軽石や火山灰に埋め尽くされたそうです。
もう一つ、大隅側にも埋没鳥居があります。垂水市にある牛根麓稲荷神社の埋没鳥居です。高さが約3.7mあった鳥居が、大正の大噴火で噴出した火山灰・軽石で完全に埋まったそうです。現在は約1.45mまで掘り出され、鳥居の上部を見ることができます。
10_2つの埋没鳥居

現在、火山噴火と同じく、カルデラの破局噴火は予測できません。カルデラ噴火が始まったら、初期の活動状況から判断して、遠地に逃げるしかありません。そのためにも、過去の破局噴火を知ることは大切であると思います。

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テーマ: 鹿児島 | ジャンル: 地域情報