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左翼イデオロギーによる縄文時代への負の評価

近年、縄文時代の姿が明らかになりつつあり、縄文時代が従来の停滞した未開世界であったという説とは全く異なることが明らかになりつつあります。

その驚愕の一例を知ったのが、今から18年前の2012年12月に東京都東村山市にある埋蔵文化センターでのことです。
縄文時代の下宅部遺跡の出土物に、以下のような多くの漆塗り物品が出てきて、その展示物を見た時です。縄文人の漆加工技術の高さを知りました(写真は東村山市のものを借用した)。

       漆塗り1

            漆塗り2

       漆塗り3

下宅部遺跡には、漆工芸の担当地域があって、そこでは分業体制がとられていたと説明があったと記憶しています。

その時以来、私は縄文時代の高い技術や文明への見直しが遅すぎるのではないかと、疑念を抱いてきました。最近、ある書評を読んで、その疑念が氷解しました。

その書評が対象とした新刊は、関裕二『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』(PHP新書)です。

書評(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第5993号)には、「マルクス主義に立脚する左翼学者が、その学問的浅薄さ、ドクマによる視野狭窄などによってまともな議論をしなかったのだ。」と書いてありました。

また、その新刊の著者はこう書いています。「唯物史観が史学界を席巻してしまった。物質や経済、生産力という視点で歴史を捉え、人間社会は段階的に発展し、最後は共産主義に行き着くという考えで、農耕を行っていなかった縄文時代に対し、負の歴史的評価を下している。生産力は低く、無階級で、無私財であり、停滞の時代と見なした」(26p)」

これは、ブログNo.92で言及した泊 次郎 (著)「プレートテクトニクスの拒絶と受容―戦後日本の地球科学史」(東京大学出版会)に書かれている昔の地学団体研究会に牛耳られていた地質学会と同じです。
今では常識となった地球物理学の考え方であるプレートテクトニクスが、日本では10年以上遅れて受容された原因が、当時の地質学分野を牛耳っていた地学団体研究会すなわち“地団研”の共産主義イデオロギー「歴史法則主義」に支配されていたためであっ」ことと酷似しています。

以上のことから、今までの日本の学者は、事実を見て自分で考えることより、学会を覆う当時の主流の思想に合わせて、都合よく事実を解釈する傾向があったということを示していると言ってよいでしょう。

これは多くの日本人がもっている迎合主義的性向のためか、また今後もこの傾向が学会内で続くのかと、真理を追究すべき使命がある学問分野のことだけに、心配になります。




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