fc2ブログ

薩摩藩の暗黒史 ⑩男色の流行

男色秘戯画帖合体
                      図 登場人物は全員男性(『男色秘戯画帖』より)

男色趣味は、薩摩趣味って言われた時代もあったそうで、薩摩は男色(男子の同性愛)の盛んな所として知られています。


武士道とエロス
氏家幹人著「武士道とエロス」(講談社現代新書)によると、薩摩の青少年の「郷中教育」における少年(稚児:チゴ)と青年(二才:ニセ)との排他的な親密な関係に、性的な匂いを感じ取るべきと書いています。

また、薩摩隼人たちの極端な女性忌避の気風。いきおい男女交際の機会はせばめられ、郷中で日々行動を共にする同性の仲間たちとの絆ばかりが固くなったにちがいありません。

本富安四郎は小学校教員として鹿児島に赴任して、薩摩の習俗や風土を調査研究した成果を著書「薩摩見聞録」にまとめて、明治三十一年に出版しました。同書の中にも、男色の習俗が書きとめられています。男色は「蛮風」にして「醜事」にはちがいないが、この風潮によって彼らの士道教育を円滑にしたことは否めない、といっています。

白州正子著「両性具有の美」によると、青少年が婦女子なんかに関わって軟弱になることを防ぎ、勇敢な士風を養うには男色が必要!とされていました。


武士の世界では、薩摩に限らず女性忌避の風潮が男色の温床になったようですが、薩摩はそれが極端に多かったようです。

鎖国状態の薩摩藩における、青少年団体の「郷中教育」、極端な女性忌避の気風、士道教育の徹底などが、同士愛の男色を称揚することにつながり、極めて多い下級武士による監視社会がそれに拍車をかけたのではないかと私は考えています。

このブログの「薩摩藩の暗黒史」を振り返ると、薩摩藩には、過酷な税制、極端な廃仏毀釈、徹底した愚民化政策など、「過激」「極端」「徹底」「行き過ぎ」な政策や風潮が多いです。そのことが「男色」の伝統をつくり、温存させたと思えてなりません。

今では鹿児島県民が良く使う「てげてげ」(「そこそこ、適当に」という意味)という言葉は、薩摩藩では排斥されていたのでしょうか。それとも、過激な藩政に対する皮肉や抵抗の意味が込められて、庶民に広まった言葉なのでしょうか。そのように考えたくなるような、極端すぎて、今ではあまりにも非常識で閉鎖的な薩摩藩の社会が想像されます。

ここで、私はゲイが悪いとは主張していません。男色が広く流行する社会は異常で、中でも薩摩で突出している現象が暗黒史に含めて良いと考えているだけです。

スポンサーサイト



テーマ: 鹿児島 | ジャンル: 地域情報