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信頼性の高い「地質学者による巨大地震予知情報」

1.信頼できない日本の巨大地震予知
日本では数年おきに大きな地震が発生し、甚大な被害が出ています。したがって、多くの国民が巨大地震予知に関心が高いのは当然です。
ところが、古くから巨大地震が間近に迫っていると言われてきた関東や静岡では、一向に巨大地震が発生しません。その一方で、巨大地震の発生が予想されていなかった神戸、新潟、東日本、熊本などで、被害甚大な大地震が発生しました。

以上のことから、日本の主流の地震予知の情報(規模、発生場所、被害が及ぶ地域および発生時期)や根拠には、基本的な欠陥があるように私は思います。

地震の研究者の主流は地球物理学者です。彼らが地震発生メカニズムの根拠としているプレートテクトニクス理論は、私のような素人にも分かりやすいが、今までの経過を見ると、地震予知に関しては信頼性に欠け、実用的な成果が出ていないと思います。

2.巨大地震予知に必要な「信頼性」
信頼性が高い巨大地震の予知情報であれば、明日の発生情報でも、1000年後の発生情報でも、それぞれに使い道があり役立つのです。例えば、発生の3日前であれば、個人でも考えて安全な場所に避難します。発生が10年以後であれば、自治体や国が安全な居住地域を定め、各種の地震・津波対策を実施できます。

困るのは、当たらない占いのような情報であり、世論を惑わし、大多数の人や自治体や国を動かす地震対策には結びつきません。

3.私が注目する地質学者の巨大地震予知情報
私が、信頼性が高い情報と思い、注目しているのは地質学者の地震予知です。なぜなら、過去の事実に学び、予知情報に再現性が高いことを示しているからです。


3.1箕浦幸治 教授
その一人は、東日本大震災が間もなく発生すると警告していた、東北大学の地質学者である箕浦幸治教授です。彼は仙台平野の表層堆積物中の津波が運んだ海砂を調査して、以下の結論を報告しています。

「仙台平野の表層堆積物中に厚さ数㎝の砂層が3層確認され、1番上位は貞観の津波堆積物です。 他のいずれも、同様の起源を有し、津波の堆積物です。放射性炭素を用いて年代を測定したところ、 過去3000年間に3度、津波が溯上したと試算されました。これらのうち先史時代と推定される2つの津波は、 堆積物分布域の広がりから、規模が貞観津波に匹敵すると推察されます。
津波堆積物の周期性と堆積物年代測定結果から、津波による海水の溯上が800年から1100年に1度発生していると 推定されました。貞観津波の襲来から既に1100年余の時が経ており、津波による堆積作用の周期性を考慮するならば、 仙台湾沖で巨大な津波が発生する可能性が懸念されます。」

なお、東北電力女川原発の一号機では、過去の津波の情報から、海面から15mの高さに構造物を設置することに決めて、3.11の巨大津波からの被害をまぬかれ、住民避難の場所にもなりました。


東日本大震災における津波による浸水地域_1MB)
東日本大震災による津波の浸水範囲(東北地方の一部地域のみ)。国土地理院の資料です。

なお、貞観地震津波および関連の研究レビューがありますので、参考にして下さい。東日本大震災の前に、大震災の予知につながる、多くの研究報告があったのです。


3.2角田史雄 名誉教授
もう一人は、構造地質学を専門とする角田史雄埼玉大学名誉教授で、プレートテクトニクス理論に代わるものとして、「熱移送説」を提唱しています。


次の震度7は1000px
「熱移送説」を、著書「次の震度7はどこか!」(角田史雄・藤和彦、PHP研究所、2016年)を基にして、以下に説明します。

地球の中心部の「地核」に発生した熱エネルギーが、高温の熱の通り道(スーパープリューム)を通って気球の表層に運ばれ、表層を移動する先々で火山や地震の活動を起こすというものです。火山では、岩石が溶けてマグマと火山ガスが発生します。地震は、地下の岩相が熱で膨張して割れることにより発生します。


東アジアにおける熱移送ルート_530KB)
スーパープリュームは、地核から南太平洋と東アフリカの2ヶ所に出てきます。南太平洋から出てきた熱エネルギーは、西側に移動して、東アジアで図1のように3つのルートに分かれて北上します。

3つのルートとは、(1)インドネシアのスマトラ島から中国につながるルート(2008年5月に発生した中国の四川大地震に関連します)、(2)インドネシアからフィリピンに向かい、台湾を経由して日本に流れるルート(今回の熊本地震に関連します)、(3)フィリピンからマリアナ諸島へ向かい、伊豆諸島を経由して伊豆方面と東北地方沿岸へ流れるルートです。

火山の噴火と地震はペアーで発生し、発生場所はずっと同じです。熱エネルギーは1年に約100kmの速さで移動します。このため、インドネシアやフィリピンで地震や火山の噴火が起きた場合、その何年後に日本で地震や火山の噴火が起きるかが、ある程度予測できます。


MJルートのVEカルテ_550KB)
「熱エネルギーの北上の速度や、箱根地域に至るまでのVE過程(一連の火山・地震過程)の発生時期・順序地震・起こり方が、伊豆諸島で起こる噴火や地震の癖に基づく予測通りだった」(図9)そうです。

角田先生は、以下のように、西之島の規模の大きな噴火活動をもたらした熱エネルギーの北上により、来年から再来年にかけて、伊豆・相模地域で大規模な直下型地震が発生すると警告しています。
「小笠原諸島の西之島(東京の南約1000kmに位置する)の海底火山が2013年11月に噴火し、2014年10月に伊豆諸島の八丈島(東京の南287kmに位置する)の東方沖で、マグニチュード5.9の地震を発生させた熱エネルギーの流れは、2017年から2018年にかけて、伊豆・相模地域に到達することになると予測しています。」 図9の右端の線に注目して下さい。多量の溶岩の流出により、西之島の面積が10倍以上になったと喜んでいる場合ではないのです。

信頼できる巨大地震の予知には、歴史的事実を解析して、周期性や法則を見出すことが必要なのです。このような研究法は、地質学者が得意です。
地球物理学者の地震研究にも、この手法や地質学者の考えを取り入れていただきたいです。そのためには、東大話法からの脱却が必要かもしれません。




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源泉掛け流しの「江之島温泉」

5月21日開催の「ふるさと再発見塾」で、鹿屋市国際交流員のディートマソ・スティーブン(Stephen DiTomasso)氏による「アリゾナと日本と私」という講演を聴きました。講師は24歳のイタリア系米国人で、日本語が上手でした。日本人が気付きにくい、日本の良い所や日本人の不可解な行動などを、楽しく聴かせていただきました。

彼は、垂水市にある「江之島温泉」がお気に入りで、良く入浴に行っているようでした。源泉掛け流し温泉であると聴き、私も行ってきました。

江之島温泉は、大隅半島の付け根に近い鹿児島湾に面した海潟(かいがた)温泉地区にあります。目の前の海には、近くに江之島が見え、その後ろに桜島が広がる、景色の素晴らしい所です。



江之島温泉の場所




江之島と桜島の眺め(500KB)
目の前の江之島と背後にある桜島の眺め



国道220号線(佐多街道)から、入り口に江の島温泉の看板がある、車1台が通れる程度の狭い道を海岸方向に進み、堤防沿いに右折すると、すぐに駐車場があります。


江之島温泉駐車場
駐車場(隣の白い建物は「江洋館」)



駐車場の横から階段を降りて進むと、日帰り入浴のみの共同浴場「江之島温泉」があります。


江之島温泉入口
江の島温泉の入り口



入浴料は、隣にある管理人の家の開いた入り口から入って、小さな賽銭箱のような木箱に入れます。私が行った時は、管理人は外出中で不在でした。「回数券やお釣りが必要な場合は無銭で入浴して、次回報告願います」と書いてありました。この地域は純朴で正直な人ばかりなのでしょうね。大人の入浴料は250円でした。


入浴料支払場所
入浴料の支払所



脱衣所でプラカゴに所持品を入れて、棚に置きます。ロッカーや洗面台はありません。


脱衣所と効能書き
男性用の脱衣所と効能書き



湯船は2つに区切られていて、湯口に近い槽が高温で、遠い槽がやや温度が低くて入りやすいです。湯船からは絶えず湯が溢れ出ています。単純硫黄泉ですが硫黄の匂いは微かであり、湯は無色で、白い小さい湯の華が混ざっています。癖のない、入りやすい温泉です。


浴槽と湯口
男性用の浴槽と湯口



湯が流れている床に寝るために、枕にする木の角材が3ケ置いてあります。私が行った時には、一人の地元の老人が寝ていました。許可を得て、遠くから上の写真を撮りました。

シャワー・カランは3箇所しかありません。源泉が出ます。配管を見てバルブを操作し、シャワーにしたり、地下水だけにしたりします。水風呂は地下水の掛け流しです。


カランと水風呂
シャワー・カランと水風呂



その老人に尋ねたら、入浴者が多いのは平日は16時以後、休日は朝です。また休業日はないそうです。ここは、その老人の生まれる前からあった温泉だそうで、隣の海潟温泉「江洋館」の温泉にも安い入浴料(300円)で入れると話してくれました。

江之島温泉は古くからある名湯で、規模が小さく鄙びていて、心身ともに休まりました。また、来たくなりました。


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大隅半島の平らな山と火山活動

平らな山というと、源平合戦で有名な四国にある国立公園の「屋島」を思い出します。屋島は、溶岩が水平に流れ出してできた溶岩台地で、この地形は「メサ」と呼ばれています。

屋島(100KB)

四国の屋島



関東から大隅に来て、まず「メサ」のような地形の山が目につき、不思議な気持ちになりました。もちろん、見る方向によって山の形は変わりますが、高さが低くなる山の周囲は、どの方向からでもほぼ平らに見えることが多いです。

大隅の平らな山(549KB)

大隅半島の台地のような山




平らになった原因は、以前にこのブログで紹介した「荒平石」と同じ溶結凝灰岩が覆った所のようです。

大隅の「メサ」地形ができた機構を、火山学者の調査報告をもとに、探ってみました。その調査報告は、荒牧重雄・宇井忠英「阿多火砕流と阿多カルデラ」(地質学雑誌、第72巻、第7号、337-349ページ、1966年)です。

この報告によりますと、今から約25,000年前に、指宿北東の鹿児島湾からから噴出した、大規模な高温火砕流の堆積物が「メサ」地形を残したようです。海底にある噴出場所を、最近は「阿多北カルデラ」と言っています。

推定噴火口の位置(527KB)

阿多火砕流の噴出推定位置(鹿児島湾内の黒い丸)




この火山活動は、軽石の降下、多数の小規模な低温火砕流、大規模な高温火砕流の順序で起こりました。この火砕流堆積物は、薩摩・大隅両半島に広く分布し、その総量は30km3、またはそれ以上だそうです。

以下が現在の地質断面図です。3地区の断面図が示してあり、地表面付近の黒い部分が阿多の火砕流です。この火砕流は高温のため、シラスにはならず溶結して固い石になったもの(溶結凝灰岩)が多いそうです。山の斜面以外ではほぼ水平に堆積して、固く溶結し、その後の浸食作用を受けにくいため、台地のような地形として残ったと考えられます。

地質断面図(567KB)

鹿児島県の地質断面図(黒色部が阿多火砕流物)




私が眺めた平らな山は、「1」の地質断面図の左側の黒い所です。この断面図から、鹿児島県の南部には「メサ」地形が多いことがわかかります。

鹿児島湾から高温の火砕流が噴き出してきて、山野を覆ったら、生物は死に絶えることでしょう。火砕流は一般的に100℃~700℃ですが、1000℃を超えるものもあります。低温の火砕流は時速360kmを超えることもあり、被害が大きくなる可能性が高いそうです。規模の大きな火山噴火が始まったら、早く遠くに逃げるが勝ちです。


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大隅半島にもある埋没鳥居

東日本大震災の後、各地の火山活動が活発になってきたようです。鹿児島には活火山が多く、国内で最も火山活動が激しい桜島があります。今後の桜島の活動が注目されるゆえんです。

自然災害の恐ろしさは、時間の経過とともに忘れやすいものです。後世への警鐘のために、何らかの見える形で災害の爪跡を残すことは大切であると思います。津波の被害を繰り返し受けてきた三陸地方には、津波の到達点に石碑を建てて、後世の人に注意を促している所があるそうです。
2011年の大津波の到達点は、約1000年前の大津波の到達点とほぼ同じだそうです。1000年後のために、今回の大津波の到達点にも、石碑を建ててほしいものです。

テレビを観ていたら、大正3(1914)年の桜島の大噴火時における降灰量を調べるために、降灰の堆積厚さを書いた石碑を探している人がいることを知りました。その番組で、異常な降灰量の記録を後世に残そうとした人が、大隅の各地にいたことが分かりました。

桜島の大正噴火のすざましさを伝えるものとして、黒神地区にあった「腹五社(はらごしゃ)神社」の埋没鳥居が有名です。もともと高さが3mであった鳥居が、今は上部の約1mを地上に見せています。その下は、噴火後1日で、軽石や火山灰に埋め尽くされたそうです。

桜島の埋没鳥居
写真 桜島の黒神地区にある埋没鳥居


桜島の東側を走る県道26号線から見た桜島の荒涼とした景色は、山体の規模が大きいだけに、恐ろしさを感じました。

桜島
写真 東側から見た桜島


もう一つ、大隅側にも埋没鳥居があると知り、行ってきました。

垂水市にある牛根麓稲荷神社の埋没鳥居です。個人所有の敷地内にあったので、最近までは一般には知られていませんでした。鹿児島県により2011年に展望広場、遊歩道、駐車場などの周辺整備が行われ、2012年に垂水市天然記念物に指定されて、一般公開されるようになりました。

その場所は国道220号線から近いですが、国道からの入り口がわかりにくいです。「道の駅湯っ足り館」の西側800mの国道沿いにコンビニの「Yショップ榊」があります。その向かいにある細い道に入り、山側に向かって進み、突き当りを左折して200mくらい進んで右折すると、更に細い道になり、すぐに車が10台くらい停められる駐車場が左手に見えます。駐車場からは見えませんが、その向かいの斜面の上に埋没鳥居があります。

牛根の埋没鳥居の駐車場
写真 駐車場(前の斜面の上部に埋没鳥居があります)


駐車場横の細い道の登り口に説明板があり、そこから数分間、狭い遊歩道を登って行くと、埋没鳥居があります。

高さが約3.7mあった鳥居が、大正の大噴火で噴出した火山灰・軽石で完全に埋まったそうです。現在は約1.45mまで掘り出され、鳥居の上部を見ることができます。急な斜面にあるにもかかわらず、鳥居が完全に火山噴出物に埋まったのが驚きです。なお、説明板によりますと、この辺りの平地には降石灰が90cm~120cm堆積したそうです。

牛根の埋没鳥居
写真 牛根麓稲荷神社の埋没鳥居


火山灰は急冷されて反応性に富むガラス質になりやすいので、堆積後に水和反応して固結することがあるので、そのような場合は、堆積物を容易には掘ったり崩したりできないはずです。もしそうであれば、鳥居を1.45mまで掘り出すのも大変な作業であったはずです。

鳥居の少し上に小さなお社(稲荷神社)があります。

牛根の稲荷神社
写真 稲荷神社


この場所は急な斜面の高所にあるので、錦江湾と桜島と集落がよく見えて、眺めが良いです。

牛根の稲荷神社展望広場からの眺め
写真 遊歩道からの眺め


今後は、ここへの訪問者も増えて、桜島の大正大噴火のすさまじさを後世に伝え続けていくことでしょう。


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「荒平石」による美しい景観と採石場跡

大隅半島を車で走ると、天然石の塀がよく見られます。この石の多くは、荒平石と呼ばれています。関東では白っぽい大谷石でできた塀が多いですが、荒平石は大谷石より緻密で、赤みを帯びています。1つの石材の寸法も大きく、人力では持ち上げられそうにありません。

大隅半島では、昔の武家屋敷に、荒平石の塀がよく使われていました。倉庫の壁や橋の石材としても使われていました。荒平石の建造物は重厚感があって、気品と落ち着きを与えています。できた当時の町並みは、きっと素晴らしかったことでしょう。


荒平石の塀2
写真1 荒平石の塀


荒平石塀1
写真2 荒平石の塀


荒平石の倉庫
写真3 荒平石の旧倉庫


「ニッポン景観論」で、最近の日本の景観の酷さに警鐘を鳴らしているアレックス・カー氏が、昔の武家屋敷の佇まいを見たら、きっと絶賛することでしょう。
この本には、日本の素晴らしい伝統的な景観が壊されていく様子と、美しい景観を取り戻すための提言が、カラー写真で分かりやすく、ユーモアにあふれた文章で書かれています。建築設計、都市計画、街づくり、町興しに関係している方には、是非読んでいただきたい本です。話が横道にそれて、申し訳ありません。戻します。

荒平石の岩質は溶結凝灰岩です。鹿児島県内の各所に分布している溶結凝灰岩は、石材として使われ、小野石、花棚石、河頭石などのように、産地の地名を冠して名付けられています。荒平石もその一つです。

溶結凝灰岩は、火山から噴出した高温の火砕流堆積物が、熱と重みで溶結したものです。空気で冷やされる火砕流堆積物の上半部と、地面で冷やされる最下部は溶結しません。これがシラスです。溶結凝灰岩とシラスは、見かけは違うが元は同じです。

荒平天神から2kmくらい南の68号線横に、白いシラス層の下に溶結凝灰岩(荒平石と同じ岩質)が見える露頭がありました。私には、この露頭のシラスと溶結凝灰岩がほぼ同一時期に堆積したものかどうかは分かりません。


シラスと溶結凝灰岩
写真4 シラス層の下に溶結凝灰岩がある露頭


荒平天神下の溶結凝灰岩2
写真5 荒平天神の下にある赤い溶結凝灰岩の岩


昭和40年に地質調査所が発行した「5萬分の1地質図幅説明書 鹿屋(鹿児島-第95号)」には、「荒平駅から南東方に延びる道路に沿い800~2,000mの間にほとんど連続して40余カ所の採石場があり,阿多熔結凝灰岩を採取している」と書かれています。阿多熔結凝灰岩は、錦江湾内の阿多カルデラからの火山噴出物と言われています。

そこで、その採石場跡を探しに行きました。錦江湾に面している高須と古江のほぼ中間にあり、荒平天神の500mくらい南に天神町があります。天神町の家々の土台、壁、擁壁などには、荒平石がたくさん使われています。そこで会った80歳を超えたご老人に、荒平石を採掘していた場所を尋ねたら、東の山を指差して、あの岩肌が見える所(写真6の左側)が、昔の採石場の一つであると言われました。


天神町集落から見た旧採石場
写真6 老人が指差した採石場跡の露頭


20年くらい荒平石の採掘作業に従事されたそのご老人から、荒平石にまつわる話をうかがいました。ご老人が採掘していた当時は、記憶では50人位の人が働いていたが、コンクリートブロックが出回り始めてから、採石場の経営が成り立たなくなり、採掘をやめたそうです。戦時中は採石場近くまで引き込み線が敷設され、空爆で開いた穴を埋める石として、荒平石を貨車で搬出したことがあったなどの話もされました。

ご老人に、昔の採石場への行き方を教えていただいたので、集落の北東側を出てから右折して、谷間の細い登り道を車で南東方向に進むと、岩肌が見える崖が何箇所かありました。この辺りが昔の採石場であったに違いありません。しかし、草木が多くて崖(露頭)には近寄れず、遠くから見るしかありませんでした。ただ1箇所は、車で凹凸のある細い道を上って、崖の20mくらい手前まで近づけたので、そこで写真を撮りました。そこには、朽ち果てて倒れた建物と荒平石の破片があり、地面には赤い荒平石が露出していました。


旧採石場の露頭1
写真7 荒平石の採石場跡の崖


旧採石場に上る道
写真8 赤い荒平石が露出する採石場跡に上る道


旧採石場の露頭2
写真9 昔の荒平石の採石場跡の崖(養鶏場の白い屋根の奥)


旧採石場の露頭3
写真10 昔の荒平石の採石場跡の崖


大隅の石の文化の発祥地とも言うべき荒平石の採石場跡に立ち、往時の採石場の賑わいをしばし想像しました。


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