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「ニューノーマル」について

 私が二十代の頃からお付き合いしているの大学の先生から、退官後も時折、メールをいただいています。
 先日いただいたメールに、”今年の被害の大きい地震・台風、酷暑は、今年に限った現象ではなく、よく言う「ニューノーマル」な状態なのかもしれません。”と書いてありました。
 さらに「ニューノーマルな状況には、速やかに対応する必要があります。国土の強靭さとか、安全な社会とか、快適な生活とか、将来のあるべき姿を、シッカリ考え直しておきたいですね。」とありました。

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 今回、私が初めて知った言葉「ニューノーマル」は、もともとは経済用語のようですが、良い言葉があるものだと感心しました。

 一般的には、特異な現象があると、一時的な異常とみなしがちです。しかし、それが恒常的な現象になることもあり、それをいち早く気づき、「ニューノーマル」と言い始める先覚者がいます。
 しかし、どの分野でも「ニューノーマル」の気付きが、定説になるには、時間がかかります。


 個人的なニューノーマル体験としては、以下のことが思い出されます。

①昭和58年(1983年)ころに、女性がスポーツ新聞を見ているのを初めて見て、衝撃を受けたことがあります。今ではノーマルなことですが。私が古い固定観念を持っていたためでしょう。

②昭和60年(1985年)ころから、職場に躁鬱病の部下が増え始め、社内にその対応部署がなく、その後十年間くらい、彼らとの付き合いに四苦八苦した経験があります。それから世の中一般に、躁鬱病になる方が多くなりました。その後、社内に心のケアーを担当する部署ができました。

③平成8年(1996年)ころに、社内一部門の営業技術(品質管理)の責任者となりました。納期を早め販売成績を上げることしか考えない営業部門からの圧力で、品質データーの改ざんが日常茶飯事であったのを、あの手この手で阻止しようとして反発を受けました。しかし、根気強く推し進めたら、データ改ざん問題のマスコミ報道が増えたこともあって、担当部門のデーター改ざんが激減して、ニューノーマルとなりました。


 歴史や思想の新しい切り口や見かたの提示も「ニューノーマル」の一種でありましょう。こちらの方が格が上で、非凡な才能の人しかできないことです。今思い出すのは以下の人と言葉です。

④内藤湖南「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っていおったらそれでたくさんです。それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っていれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。」(応仁の乱について)

⑤レヴィ=ストロース「人類学者は、なりゆきにまかせること、それぞれの社会の内的論理に従うことを望むのです。そして内的論理に従うことによって、存続可能な家族、社会構造が生み出されること、習慣というものによって構造の矛盾が解決不可能なものかどうかが明らかにされ、除去されていくことを望むのです。」(レヴィ=ストロース講義)

⑥私の知人「縄文時代から同じであった日本人共通の考え方、生活様式が、農業人口が激減した昭和時代に変わった。そのため、昔を知る老人が生きている間に、その体験談を集めたい。」(表現は不正確です。学者の説の受け売りかもしれません)


レヴィ=ストロース講義

 「ニューノーマル」という言葉から、色々と考えさせられました。この言葉を気にかけていると、ボケにくくなるような気がします。

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テーマ: 体験談 | ジャンル: その他

「そうめん流し大会」から地域おこしの要点を学ぶ

8月の末に鹿屋市の吾平小学校の校門に至る長い坂で、初めての「そうめん流し大会」がありました。

小学生の父兄が中心になって、企画し、実行したものです。数か月前から、検討会議を重ね、予行演習まで行っています。

若い人が少なく、衰退した地域でも何か面白いことをやろうとか、汗をかく新しい企画を実行しようとする集団がいること自体が驚きで、将来に期待を抱かせてくれます。

それが実現できたのは、若い集団を束ねて、メンバーが自主的に活動するように育ててきたリーダーがいるからです。損得を考えずに、地域のために働く自己犠牲に富む人の波及力は大きいのです。


そうめん流し準備

吾平小学校の校門坂は急傾斜で長くて、私には途中で休憩しないと登れません。
この坂に、長さ130m、高低差20mの巨大なそうめん流しが登場しました。

そうめんはお母さん方が校庭でゆでて、食べる場所による不公平を減らすために、長いそうめん流しの3箇所から、供給していました。

事前の試験で、割った竹は3日くらいでカビが生えることが分かったため、前日に切り取った孟宗竹を、当日の朝に2分割して、内側の節を削ってそうめん流しに使ったそうです。参加者に子供が多いこともあり、入念な検討をしたんですね。

かかった費用は、そうめん、麵つゆ、容器などの出費が合計9万円だったそうです。


開会式

開会式と閉会式の父兄の挨拶や説明にユーモアがあふれていて、楽しませてくれました。特に、ルール説明者の「全国そうめん流しの規則にのっとって…」は傑作でした。


食べる子供たち

子供と大人

参加者は地域の3小学校の生徒、幼児、父兄など数百名でした。

開始時刻が13時からだったせいもあってか、開始から30分程度で満腹になる人が多く、準備した茹でたそうめんが相当あまり、参加者に持ち帰ってもらっていました。

準備だけでなく、撤収作業も半時間程度で終わり、その機動力・手際の良さには、あらためて驚きました。

今回の急傾斜地での巨大なそうめん流し大会は、子供たちには、忘れがたい夏の思い出となったことでしょう。苦労された裏方の父兄も楽しんでいるように見えました。来年も開催するかもしれない、と思わせるにぎやかな雰囲気がありました。

今回のことから、「地域おこし」には自主的に活動する集団が必要であり、何よりもその集団をまとめて、動かすリーダーの存在が大事であると思いました。

人口減少が進んでいる所は、まだ若い父兄がいるときに「地域リーダー」を育てる仕組みを考えなければならない、と学んだ「そうめん流し大会」でした。
テーマ: 鹿児島 | ジャンル: 地域情報