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大隅半島の奇岩

鹿屋市吾平町の南部にある木場に「立神(たてがみ)公園」があり、そこに大きな柱のような奇岩からなる珍しい光景が見られます。昨年(2019年)に、史跡巡りのグループを案内した折に、「立神公園」にも連れていきましたら、参加者が一番驚き、喜んでいただいた場所でした。参加者から「こんな場所があるとは知らなかった。」と口々に言われました。

ここは、平成4年に地元の人たちが中心となって整備して作った公園です。道路横の、少し下がったところにあります。奇岩には、「立神」、「不動岩」「親子岩」などの名前が付けられ、それぞれ家内安全、五穀豊穣、安産の御利益があるとされています。そのため、パワースポットでもあります。

立神公園奇岩の連結

この奇岩の成因を知りたくて、ネットで調べたら、鹿児島大学応用地質学講座が開設している鹿児島県の地質関連情報サイト「かだいおうち」に、「鹿児島県の奇岩・名石」のページがありました。残念ながら、当時、そこには大隅半島の奇岩の事例は載っていませんでした。しかし、そこに「他にご存知の石がありましたら、ご教示ください」と連絡先が書いてあったので、写真を付けて、この奇岩の成因を教えて下さいと、メールを出しました。

早速、鹿児島大学 応用地質学の岩松 暉(あきら)名誉教授からご返事をいただきました。現地の地質図からいくつかの成因に関する地質情報とともに、県内の知人の地質学者に「立神公園」の奇岩について尋ねてみたが、誰も知らなかった。自分は高齢で現地に行けないので、まずは地質学を専攻(最初のメールで報告)した貴殿が岩石の種類を判定してほしい。」と書いてありました。
そこで、現地に行って、奇岩の周囲にあった転石数個をハンマーで割って、破断面を見たら、溶結凝灰岩に特徴的なユータキシティック構造(横方向に平たくなった組織)が見られました。その結果、奇岩の岩質は溶結凝灰岩と判定しました。

その破断面の写真を岩松先生に送り、先生から溶結凝灰岩とのお墨付きをいただきました。その結果、立神公園の奇岩の成因は、約11万年前の阿多北部カルデラの大爆発に由来する阿多溶結凝灰岩(阿多火砕流により厚く積もった火山灰と石が熱と圧密で固まった岩)の柱状節理を持つ岩体(岩が冷えて固まる際に収縮して柱が集まったように岩が割れたもの)の中で、風化に耐えて残った岩柱であると、岩松先生が成因の仮説を教えて下さいました。

なお、柱状節理を示す溶結凝灰岩の岩柱は、溶岩からできたものよりも一般に太いそうです。私は玄武岩などの火山岩の柱状節理は知っていましたが、溶結凝灰岩のそれは知りませんでした。その後、鹿児島県には溶結凝灰岩の柱状節理は多く、私が良く行く吾平山陵にもあることも知りました。

吾平山陵柱状節理連結

以下に、阿多北部カルデラが大噴火してから、その火砕流が時速約300kmで海上を滑るようにして大隅半島に到達し、堆積して冷却過程で柱状節理を形成し、その後の風化に耐えて残った柱状の岩が現在の奇岩となった仮設の経過を、分かりやすくするために順を追って図と写真で示します。

阿多北部カルデラ噴火3連結1_文字入

阿多北部カルデラ噴火3連結2_数字入

その後、「かだいおうち」の「鹿児島県の奇岩・名石」に、立神公園の奇岩も入れていただきました。

最近、同様な形状の奇岩が、錦江町城元地区にあった旧立神(たちがみ)神社の近くにもあることを、ネットで知りました。地元の人に訪ねながら、現地に行きました。それは「立神(たちがみ)岩」とよばれ、高所恐怖症には足がすくむような、神之川にかかる永水大橋の下にありました。

立神岩連結

吾平の立神公園の奇岩と同じく、阿多北部カルデラが大噴火して大隅半島に到達した火砕流が、冷却過程で柱状節理を形成し、その後の風化に耐えて残った柱状の岩と考えられます。
この奇岩の近くにあった立神(たちがみ)神社で、旗山神社に伝承されている正月行事「柴祭り」の内、田打ち行事が1月2日に行われていましたが、神社が安水地区に移築されたのにともない、この行事は新しい神社で行われるようになりました。

大隅半島には、分け入りがたい山地が多いので、まだ未発見の奇岩があるような気がします。
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テーマ: 鹿児島 | ジャンル: 地域情報