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大隅半島は「建国神話の始まりの聖地」(4)ウガヤの生誕地

ウガヤ生誕地の本と文


緑河創生著「大隅 昭和写真帖」(株式会社南方新社、2007年発行)を見ていたら、「ウガヤの生誕地」というぺージがありました。
その説明を読むと、その場所は、肝付町津曲の森神社跡で、その神殿内に石棺の一部が露出していたらしいです。

私は「日本の建国神話のはじまりの聖地」である大隅の関連遺跡に興味があるので、神武天皇の父親であるウガヤフキアエズノミコトの生誕地があるという肝付町津曲に行ってみることにしました。

津曲集落の消防車の車庫がある広場に車を置いて、庭で作業中の男性に「ウガヤの生誕地」の場所を尋ねたら、集落の外れに石碑があるとおおよその場所を教えてくれました。その辺りを歩いて回ったが場所が特定できなかったので、近くの家の庭に居た老夫婦に「大隅 昭和写真帖」を開いて生誕地について書いてあることを伝えたら、目の前の場所に違いないと、数十メートル離れた場所を教えてもらいました。


ウガヤ生誕地の現地
本の写真とは景色が変わっていたが、竹林の中に文字がない高さ2mくらいの平べったい天然石の碑が1つ建っていました。この孟宗竹林は真ん中が1m弱、盛り上がっていて、本に書いてあるように、田地にするために崩した古墳の跡だったのでしょう。古いブルーシートがしわくちゃになって石碑の近くに放置されていました。


石碑の表裏
石碑の表裏の写真です。この石碑は、古墳にあった石室の3枚の蓋石の1つで、本に書いてあるように、ここは「今は水田になってしまった旧肝属川沿いの竜神宮の拝殿跡地前」でしょう。


石室の蓋石
もう1枚は、「平田明宅庭横の道路沿いにイボの神として」いる石碑で、上記の写真の中央にあるものと思われます。残る1枚の「田中昇宅隣接のT字路角に安産の神として祀ってある」石は、老夫婦が確かにあると言っていたが、自分一人では見つけ出せませんでした。



この地をグーグルマップの写真で見ると、このあたりで旧肝属川は大きく蛇行していて、旧河川は大きく湾曲した2つの輪のようになっていたようです。ここはその輪が接近した場所のほぼ中間点にあたります。旧河川の形から、津曲という地名の由来がわかります。近くの肝属川を挟んで対岸のほぼ等距離の所に、唐仁古墳群があります。

ウガヤフキアエズノミコトのお墓は「吾平山陵」という素晴らしい名所になっていますが、残念ながら生誕伝承地は無残な姿になっていました。手を入れて、せめて、昔の神社や古墳があった当時の写真を付けた説明板でも置いて、往時をしのばれる場所にしていただきたいと思いました。
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テーマ: 鹿児島 | ジャンル: 地域情報

古墳が多い大隅半島

大隅半島には古墳が多いです。特に志布志湾沿岸・西海岸沿いに多い。志布志湾沿岸部には、3世紀後半から6世紀前半にかけての前方後円墳17基,円墳304基の存在が知られています。一方、鹿児島湾岸やその内陸部には、ほとんど古墳がありません。


志布志湾岸の古墳地図508KB

志布志湾沿岸の古墳(肝付町立歴史民俗資料館の展示物)



なぜ大隅半島に古墳が多いのか、その理由を知りたいが、手に入りやすい関連資料を読んでも、畿内の中央勢力と密接な関係があったということぐらいしか書いてありません。今後、建国神話との関連や、当時の具体的な統治・生活・文化様式に関して、大胆な仮説が出てくることを期待したいです。

この地域の主要な3つの古墳を、以下にご案内します。説明は、主に鹿屋市文化財センターの資料から拝借しました。

1.塚崎古墳群
まず、肝付町にある塚崎古墳群からから見ます。大隅では最も古い古墳時代前期(300年代初頭)から築造が始まった古墳群で、前方後円墳が5基と円墳などが39基あります。畿内型の古墳群としては日本最南端に位置するものであるそうです。


塚崎古墳群の案内板

塚崎古墳群の案内板と地域の風景



私は、古墳上に樹齢1300年の大楠(国指定天然記念物)がある塚崎1号墳しか見ていません。この大楠は、鹿児島県内では「蒲生のクス」「志布志の大クス」に次いで3番目に大きいものです。


塚崎1号古墳315KB

塚崎1号墳



塚崎古墳群内には「肝付町立歴史民俗資料館」があり、古墳からの出土物が展示されています。


歴史民俗資料館

肝付町立歴史民俗資料館




塚崎古墳群で発見されたもの527KB

塚崎古墳群で発見されたもの(肝付町立歴史民俗資料館の展示物)



2.唐仁古墳群
肝属地域を代表するのは肝属郡東串良町の唐仁古墳群です。前方後円墳5基、円墳135基からなります。


唐仁古墳群の説明板

唐仁古墳群の説明板



この地域最大の唐仁大塚古墳は、全長154mの大型前方後円墳です。この大きさは九州で第3位の大きさです。古墳時代中期初頭(300年代末)に、最初に大塚古墳(1号墳)が築かれ、その後に多くの古墳が作られたと考えられています。
大塚古墳の墳頂には大塚神社があり、その床下には石室が収められています。


唐仁1号墳と大塚神社

唐仁大塚古墳と大塚神社



河野俊章氏の著書である『予言、大隅邪馬台国』(牧歌舎刊)には、『魏志倭人伝』(280年ごろ)を基に、「大塚古墳」が卑弥呼の墓で、邪馬台国は大隅にあったと推定している。私には、説得力のある興味ある本でした。


予言、大隅邪馬台国

『予言、大隅邪馬台国』(牧歌舎刊)



しかし、私は、田中英道氏の『なぜ卑弥呼神社がないのか ――日本のどこにも存在しない「邪馬台国」』の論考を読んでから、「邪馬台国」は無いという氏の考えに傾きました。

唐仁古墳群は、狭い地域に古墳が密集していて、その数の多さに驚かされます。歩いてみれば、そこかしこに盛り上がった古墳が見えます。一見の価値があります。これほど古墳がたくさんあれば、よそ者には古墳に関わる博物館や売店があっても良さそうに思えますが、何もないです。


唐仁古墳群

唐仁古墳群の一部



3.横瀬古墳
前方後円墳の全景がよく見えるのは、曽於郡大崎町の横瀬古墳です。墳丘の前長が140mで、周囲に二重周溝を巡らし、墳丘表面を埴輪で飾っていました。400年代前半に築かれたと考えられています。周囲に古墳群がなく、単独で存在している大型古墳で、九州で第6位の大きさです。


横瀬古墳の説明板

横瀬古墳の説明板




横瀬古墳の全景

横瀬古墳の全景



大隅には、まだ他にも、たくさんの古墳があります。古墳の研究成果から、古墳時代の物語が聴ける日が来ることを期待しています。


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