郷土資料から知った偉大な地域リーダー

 

大姶良の歴史と文化600KB



海上自衛隊鹿屋
航空基地史料館の横にある鹿屋市観光物産綜合センターに行きましたら、鹿児島や鹿屋地域に関連する書籍が並んでいました。いくつかを手に取って眺めていたら、その中に「大姶良の歴史と文化」と題する107ページの冊子があり、ページをめくると興味ある内容が多いので、千円を払って購入しました。

 

この郷土史には、私が知らなかった立派な先覚者のことや、初めて知る地域の風習、消えた地域行事、伝承などを分かりやすく簡潔に取りまとめて記述されているので、引き込まれるように読みました。

 

 

竹内三平村長500KB


この冊子で一番感銘を受けたのは、大姶良村の初代村長であった竹内三平氏の行動と、後輩への影響についての以下の記述です。

 

” 寡黙で「不言実行」を旨とし、政治家にありがちな公金をはじめ金銭に関するトラブルは一切なく、金銭面での潔白さを身上とした。売名行為とは無縁のところで人材の養成や発掘には資材を投じ、その精神が後進に生かされて、永田良吉氏(第12代村長、県議、第2・6・7代鹿屋市長、代議士)、池田俊彦(学習院教授)、五代貞直氏(教育者)、大川喜之助氏(茶業界の恩人)、中島万助氏(産業組合育ての親)、津崎長角氏(産業組合の振興)等の人物を輩出させている。”

 

永田良吉の銅像・銘板

                                           鹿屋市役所にある永田良吉(鹿屋市長、代議士)の銅像

池田俊彦墓(複合)

               大姶良にある池田俊彦(学習院教授、平成天皇陛下の家庭教師)の墓


竹内三平という一人の高潔な地域リーダーに感化された多くの後輩が、その後、様々な分野のリーダーとして活躍したことを知りました。

このような偉大な竹内三平について、もっと詳しく知りたいと思い、ネット検索しましたが、残念ながら出てきませんでした。

 

その他に、私が知らなかった地域の風習の例として、大姶良や鹿屋では鯉のぼりを立てない習わしがあり、武者幟だけを立てることが、その理由の仮説とともに書いてあります。また、永野田では白い色を嫌うことに謂れがあると書いてありました。

 

 

この冊子は、地元住民の古くからの暮らしや体験、歴史が、掘り起こされて、なるべく当時の人の動きや考えが髣髴とするように記録されています。そのために、読者を引き付ける魅力があるのだと思います。これは簡単にはできない技術です。

 

人は人から最も大きな影響を受けるので、立派な地域リーダーの育成が大切なことを再確認させられた冊子でした。その事例が簡潔にかかれている、見本となるような郷土資料の紹介でした。



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「地質学の巨人 都城秋穂」から知る日本の闇と一流の仕事

世界的に有名な地質学者の都城秋穂(みやしろあきほ)・米ニューヨーク州立大名誉教授が、2008年7月22日、米国ニューヨーク州オルバニー市郊外のサッチャー公園内の小道を散歩中に足を滑らせて崖から転落し、87年の生涯を終えました。彼のパソコンの中に、膨大な文章が残されていて、「地質学の巨人 都城秋穂の生涯」(東信堂)として刊行され始めましたが、第2巻で止まっています。

私は学生時代に地質学を専攻したので、都城の偉大な業績や、学者仲間に迫害されて米国に研究亡命したことを知っていました。若いころに彼は、同一組成(Al2SiO5)でありながら温度圧力条件によって3種類の鉱物が出現することを論理的に推測し、20年後に高温高圧実験で証明されました。この研究手法は、世界の研究者に影響を与えました。
化学熱力学を駆使した彼の名著と言われる「変成岩と変成帯」も持っていましたが、私の能力では十分に理解できませんでした。

以下に、「地質学の巨人 都城秋穂」に関連する3つの話題を紹介します。

1 第1巻 都城の歩んだ道:自伝

都城の顔と本

私は、「第1巻 都城の歩んだ道:自伝」を読み、戦前の帝大での閉鎖的、抑圧的な学者の世界と都城の学者としての苦難の歩みを知り衝撃を受けました。学者の世界では珍しく、ここまで書いていいのかと思うような、内情暴露的な具体的な記述が多くあって、迫力のある内容でした。しかし、彼の真実が書かれていることが、私に圧倒的な力で迫ってきたと言うべきでしょう。
今でも高名な学者の偏狭な性格や行動も書かれていて、週刊誌を読むように読みふけりました。都城の恩師である坪井誠太郎教授が、図書室にあった海外の書籍を独占して、助手の都城に貸さなかったなどのいじめに近いエピソードは、今でも覚えています。

今では内容の詳細を忘れましたが、読んだ当時、この孤高の天才学者から学ぶべきことは無数にあると思った本でした。


2 日本でのプレートテクトニクスの拒絶

最近、泊 次郎 (著)「プレートテクトニクスの拒絶と受容―戦後日本の地球科学史」(東京大学出版会)を読みました。今では常識となった地球物理学の考え方であるプレートテクトニクスが、日本では10年以上遅れて受容された原因を探ると、当時の地質学分野を牛耳っていた地学団体研究会すなわち“地団研”による共産主義イデオロギー「歴史法則主義」に、学問が支配されていたためであるということでした。
地質学を、事実を素直に見て考察しないで、観念的イデオロギーで解釈するエセ科学にしたのです。“地団研”の影響は、少なくとも1985年まで日本の地質学会には残っていたという指摘には驚くばかりです。

プレートニクス理論の実証と啓蒙に貢献した「地質学の巨人 都城秋穂」は、“地団研”の学者たちに排斥されて、米国に研究亡命したと言われています。


3 都城秋穂の弟子であった上司のこと


最後に、私の会社員時代に、東大で都城秋穂の指導を受けた上司が居ました。その人は「仕事の巨人」と言うべき、仰ぎ見る上司でした。前人未到の業績を次から次へと出す人でした。

その上司から学んだことは多いが、最も重要であると思うのは、「仕事の進め方」でした。よく調べ、よく考え、相手にわかるように表現することを重視されました。「仕事の進め方」で鍵となるのは、合理的で説得力のある「仕事のストーリーづくり」でした。それにより無駄のない作業と経費で成果を出すことに繋がるために、事前の検討に時間をかけることを何よりも大切にされていました。そして、それを仕組みとして残すように、研究計画書の書き方を何度も改訂され、機会あるたびに一人ひとりに具体的な事例で指導されていました。これらの体験から、時間をかけて議論したり、文章にして何度も見直さないと、真の意味で深く考えたことにならないことを学ぶことができました。

私の会社員生活を振り返ると、作業内容の指示をする上司は多かったが、普遍性のある合理的な仕事の仕方を、しかも原則までも教えてくださった上司はこの人ひとりでした。このような素晴らしい上司とめぐり会えた幸運を深く感謝しています。

この上司が上記のような仕事の仕方の原則を、どのようにして身につけられたかを知りたくて、打ち解けた雰囲気のときに、ご本人に尋ねたことがあります。そして驚いたのは、大学生時代に根幹となることに気付いて、自分のものにされたことでした。

上司は、「大学時代に膨大な実験をしてデータをたくさん持っていたが、発表するときにストーリーを語れなかった苦い経験があり、反省した」と言われました。恐らく、卒業論文か修士論文の時のことでしょう。当時の東大での指導教官は、少壮の都城秋穂博士でした。著書や発言から、都城博士は仮説づくりや研究ストーリーづくりを重視されていたことがうかがえます。私の上司はその恩師の影響を強く受けられたはずです。
この学生時代の反省が、会社に入ってからの上司の仕事に活かされていたのです。

一流の仕事の仕方の原則は、分野を問わず、同じであることを二人の巨人から学ぶことができました。

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薩摩藩の暗黒史 ⑩男色の流行

男色秘戯画帖合体
                      図 登場人物は全員男性(『男色秘戯画帖』より)

男色趣味は、薩摩趣味って言われた時代もあったそうで、薩摩は男色(男子の同性愛)の盛んな所として知られています。


武士道とエロス
氏家幹人著「武士道とエロス」(講談社現代新書)によると、薩摩の青少年の「郷中教育」における少年(稚児:チゴ)と青年(二才:ニセ)との排他的な親密な関係に、性的な匂いを感じ取るべきと書いています。

また、薩摩隼人たちの極端な女性忌避の気風。いきおい男女交際の機会はせばめられ、郷中で日々行動を共にする同性の仲間たちとの絆ばかりが固くなったにちがいありません。

本富安四郎は小学校教員として鹿児島に赴任して、薩摩の習俗や風土を調査研究した成果を著書「薩摩見聞録」にまとめて、明治三十一年に出版しました。同書の中にも、男色の習俗が書きとめられています。男色は「蛮風」にして「醜事」にはちがいないが、この風潮によって彼らの士道教育を円滑にしたことは否めない、といっています。

白州正子著「両性具有の美」によると、青少年が婦女子なんかに関わって軟弱になることを防ぎ、勇敢な士風を養うには男色が必要!とされていました。


武士の世界では、薩摩に限らず女性忌避の風潮が男色の温床になったようですが、薩摩はそれが極端に多かったようです。

鎖国状態の薩摩藩における、青少年団体の「郷中教育」、極端な女性忌避の気風、士道教育の徹底などが、同士愛の男色を称揚することにつながり、極めて多い下級武士による監視社会がそれに拍車をかけたのではないかと私は考えています。

このブログの「薩摩藩の暗黒史」を振り返ると、薩摩藩には、過酷な税制、極端な廃仏毀釈、徹底した愚民化政策など、「過激」「極端」「徹底」「行き過ぎ」な政策や風潮が多いです。そのことが「男色」の伝統をつくり、温存させたと思えてなりません。

今では鹿児島県民が良く使う「てげてげ」(「そこそこ、適当に」という意味)という言葉は、薩摩藩では排斥されていたのでしょうか。それとも、過激な藩政に対する皮肉や抵抗の意味が込められて、庶民に広まった言葉なのでしょうか。そのように考えたくなるような、極端すぎて、今ではあまりにも非常識で閉鎖的な薩摩藩の社会が想像されます。

ここで、私はゲイが悪いとは主張していません。男色が広く流行する社会は異常で、中でも薩摩で突出している現象が暗黒史に含めて良いと考えているだけです。

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聞いて笑い、やって驚く「尿療法」 5.尿療法に関する最近入手した資料

ふりむけばニョウタリアン500KB


久し振りに「尿療法」をネット検索しましたら、清水馨子著「ふりむけばニョウタリアン: 現役の獣医師が明かす尿療法驚きの真実」と題する本が出版されていることを知りました。著者が獣医師なので、犬猫の話もありますが、人に関する尿療法の事例を紹介する短い文章が多く、読みやすい本でした。

 

まりも資料  
その本を読んで、芋づる式に「麻りものブログ
を知り、ブログ主催者から以下の4冊の本・冊子とDVDを買いました。

★ 『まりもの摩訶不思議な世界へようこそ』 自費出版 ¥1,180
★ 『あなたに出会えて幸せです』 高田麻りも著 ¥777
★ 『尿健康法体験談集ー糖尿病編』 高田麻りも編集 ¥200
★ 『救済の医学―尿療法の歴史』 浅井保彦編著 ¥1,000
★ DVD『中尾良一先生講演 他』 ¥2,000


       いのちの水全国大会 

また、上記の資料に同封されていた『いのちの水全国大会』の案内には、今年の6月23日(土)に、10時から20時まで東京都荒川区の「サンパール荒川」で開催されると書いてありました。講師は総勢18名です。大会の詳細はFacebookの公開グループ「いのちの水18」を検索、閲覧ください。なお、「いのちの水」は尿のことです。

 

今回、尿療法に関して、新しい書籍が出版されたり、講演会があることを知りました。

上記の資料に書かれていることは、難病に苦しむ人や健康を維持したい方には、知っていただきたい情報です。

 

なお、上記DVD中尾良一先生講演で、尿療法の作用機構と関連するとして「Bスポット」について言及されています。多くの病の原因になるといわれるBスポットの炎症「上咽頭炎」について、私は興味を持ちました。これから勉強してみるつもりです。

 

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総合ビタミン・ミネラル剤で血圧が下がった体験談


血圧計2

 

90歳の母は血圧が高く、医師の指導で30年くらい降圧剤を服用していましたが、それでも上の血圧が140150mmHgと変わらないので、昨年、病院を変え、事情を話して薬を変えてもらいました。

その結果、数ヶ月かけて上の血圧が100110mmHgに下がりましたが、同時に元気がなくなり、日中でも寝ている時間が長くなりました。

 

母の元気を回復させる手立てはないものかと、ネット情報を検索していたら薬漬けの弊害】「薬やめる科」の医師が断言! 緩い 生活改善でも血圧は下がる』と題する松田史彦医師(日本自律神経免疫治療研究会会員・松田医院和漢堂院長)の解説が目に留まりました。

 

その解説に、「高齢者の場合、血圧が基準値より高いほうが、自分で身の回りのことができる「自立度」が高いと複数の研究でわかっています。

 その工夫としては、食事や運動、ストレス解消など、いくつもの方法があります。まず食事では、ビタミンやミネラル類を、しっかり補給することが非常に重要です。このために野 菜などをバランスよく摂取することが大事ですし、場合によっては、サプリメントを使ってビタミ ン・ミネラル補給を提案することもあります。」と書いてありました。

 

さらに、以下のように具体例の紹介がありました。

54歳の男性Aさんは、10年前から高血圧で降圧剤を飲んでいましたが、薬でも最大血圧が160Hgまでしか下がらないため来院。Aさんは、慢性的な頭痛にも悩まされていました。

 食生活の分析から、ミネラル不足と診断。ミネラルのサプリメントと、かつ、できる範囲内の運動をお勧めしました。そして、降圧剤の量を半分にへらして、様子を見ることにしたのです。

 その効果は、驚くほど早く現れました。血圧がどんどん下がり始め、2週間後には、最大血圧が128Hg、最小血圧が74Hgを記録。頭痛もあっさり解消したのです。その後、降圧剤をゼロにして、ミネラル摂取と運動を続けてもらっています。血圧は、薬をやめたのちも、120140 Hgで安定し、元気に過ごされているのです。


そこで、母にこの解説を読んでもらい、小生が毎日摂取している総合ビタミン・ミネラル剤の「ディアナチュラ ストロング39アミノマルチ 300」(アサヒ食品グループ社製)を日に3錠摂取し、降圧剤の服用量を半分に、日に3回以上の血圧測定をしてもらいました。

そうしたら、初日から、血圧が
110mmHg程度と変わらず、2日間安定していました。その後、降圧剤の服用を20日間ほど止めていますが、血圧が120mmHg程度で安定して推移しています。

ただし、2回、血圧が150mmHgくらいになった際に、降圧剤を指定量の半分飲んだそうです。その2回以外は降圧剤を飲んでいません。


 

母は30年間、効かない降圧剤を飲んでいたのでしょうか? 血圧が高い原因を調べる方法はないのでしょうか? ビタミンやミネラル不足が高血圧症の原因になるということを、知らない医師が多いのではないでしょうか? 等々、今では普通の病気となった高血圧症にも、疑問な点が多いことを知りました。

 

短期間ですが、以上の劇的な体験は驚きでした。母はビタミンやミネラル不足であったと思われますが、具体的な不足成分はわかりません。今後も頻繁に血圧を測りながら、経過を観察します。

 

高血圧症の原因は、食塩のとりすぎ、肥満、ストレス、飲酒、喫煙と言われていますが、いずれにも当てはまらない人は、偏った食事などにより、ビタミンやミネラルの欠乏を考えてみるのも良いかもしれません。特に高齢者にはありがちなことです。

健康診断でビタミンやミネラルのバランスを診断してくれるといいですが、きっと検査・診断は高額になるのでしょうね。

 

また、【医師解説】降圧剤(血圧を下げる薬)の副作用で認知症に!? 180ミリなら無理に下げなくて良い』には、60歳以上の場合、最大血圧が180Hg以下なら、薬を飲む必要はないと書いてあります。

このような血圧の基本的な診断・処方に関しても、多くの説があるようで、真理は何処にと思うことしきりです。


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